清しょうこ納言日記(H)

ぐうたら主婦の世迷い言

鳥越 碧 著「萌がさね」

 
鳥越 碧 著「萌がさね」です。
 
どういう訳か、我が家に二冊ありました。
なので、一冊、tekkさんにあげました。
 
実は、
鳥越碧さんは、独特の言葉を使う人で、
たとえば、
「ちがう」という言葉を、
「違う」ではなく
「異う」と書いたりなさいます。
 
私、こういうことに敏感で、
もう、それだけで、アレルギーが出ます。
 
モヤモヤのトリガーになるものがあると、
中身に集中できないのです。
 
 
 
以前、
「後朝」を読んだ時もそうでした。
 
 
なので、本当は
あまり好きな作家さんではありません。
 
ですが、
私たちは、学校で「きく」という
動詞について、
「聞く」「聴く」「効く」「利く」
という漢字くらいしか習っていませんが、
実際には「訊く」も使うくらいです。
 
もしかしたら、知らないのは私だけで、
「異う」と書いて、
「ちがう」と読んでも
かまわないのかもしれない。
 
もし、その根拠を探し当てたら、
すんなり受け容れられるようになって、
アレルギーが出なくてすむかも。
 
そう思い、漢和辞典広辞苑
さらには古語辞典まで
引っ張り出してはみたものの、
「訊く」という漢字への言及はあったけれど、
「異う」なんて使い方は
どこにもありませんでした。
 
「この違和感は、正しかったんだなぁ」
という裏付けしか得られず、
激しく落胆しました。
 
 
それでも、まあ、
描かれている時代が時代なので、
吐き気を抑えつつ、我慢しいしい、

何度目かの読み返しをしました。

 
 
 
「萌がさね」の主人公は、
源 明子(みなもとの めいし)。
藤原道長の妻のひとりです。
父親は、西宮の左大臣こと、
源 高明(みなもとの たかあきら)。
母親は、道長の父親兼家の異母妹にあたる
愛宮です。
 
幼少期に安和の変で父親の高明が失脚し、
叔父の盛明親王の養女になり、のち、
東三条院(一条帝実母・道長同母姉)のもとで
庇護され、道長の通うところとなり、
四男二女をもうけました。
 
本書では、
主に、道長との関係性を軸に、
明子の一生を描いています。
 
明子は、
いまひとつ道長を好きになれない、
他に惹かれる者がいる、という設定で、
そこは、
作者が描いた虚構にすぎないと思いつつ、
その相手が、よりにもよって
小野宮の右大臣こと
藤原実資(ふじわらのさねすけ)
という、ね。
 
これは、もう、
私としては噴飯物でして・・・・・・。
 
だって、このオジサン、知る人ぞ知る、
とんでもないセクハラ親父。
 
手当たり次第、
女と見れば手を出すことで
有名人なんですもの。
 
実資は、その日記、
小右記」で有名で、有職故事に精通し、
堅物のように思われていますからね。
 
清廉潔白が
衣冠束帯姿で歩いているところを
想像したのかもしれませんけれど、
その実態は・・・・・・。残念至極です。
 
まあ、それはともかく、
 
明子の一生を描きながら、
道長その人を浮かび上がらせよう
という意図は、
なかなか目の付け所がよろしいけれども、
いかんせん、
描き切れたとは言いがたい。
 
さらに、私としては、
明子を主人公に据えて、
清少納言中宮定子にまで
言及するのならば、
明子の同母弟である
源 経房 を登場させれば、
もっともっと、
深く語れるであろうに・・・・・・・。
と、もどかしい思いがしました。
 
どうしてそこに目が行かないのか!
隔靴掻痒とは、このことです。
 
 
 
 
 
私は、
永井路子著「この世をば」で描かれた
道長と明子の方が、ストンと腑に落ちます。
 
「この世をば」は、もうひとりの妻
源 倫子 との関係を主軸に、
道長を描いています。
 
明子は、まるで妖精のような、
つかみどころのない女性として
描かれており、
生い立ちと相まって、
さもありなんと思わせる、
素晴らしい設定でした。
 
このあと、読み返します。
口直ししないと、
ホントに吐いちゃいそうなんで。
 
 
 
 
 
 
実は、「萌がさね」を読むのが
あまりに苦痛だったもので、
 
同時進行で、
読んでいました。
 
こちらは、
道長の手がついた女が、
スパイになって
中宮定子の元に出仕する、
というオハナシ。
 
主人公は、
定子に女房として近侍し、
道長の問うに任せて
内情を通報するのですが、
時とともに変節し、
定子に同情してしまう、という、
さもさもありそうな設定で、
こちらも、
納得できるストーリー展開でした。
 
ほの見える清少納言の姿も、
ほどほどに描写され、
そのさじ加減の良さも、オススメです。
 
 
 
 
 
私は、藤原道長に興味があります。
 
この人については、非難囂々、
よく言う人はほとんどいない、
って感じなのですけれども、
あの、大胆にして小心、
傲慢に見えて繊細な性格は、
どう見ても、HSP そのものです。
 
全体の二割くらいは存在するらしい
HSP です。
どんなに時代が変わっても、
同じ人間なのですから、
平安時代にだって、
いても不思議じゃありません。
 
たぶん、本人だって
生きづらいと思っていたでしょうし、
なまじ巨大な権力を持っているがゆえに、
大きな振幅に
振り回される人生だったと思うので、
メンタルも
ボロボロだったんじゃないかと思います。
 
 
平安時代というと、
とてつもなく遠い時代で、
見当もつかないと思いがちですが、
生きていた人たちは、
ヒトという観点から言えば、
全く同じ生き物です。
 
どんなに遠くても、平安時代だって、
心と体を持つ人間が生活していた時代、
なのです。
 
 
道長の日記である
御堂関白記」について書かれたものも、
いくつか読みました。
 
ますます、興味が募ります。
 
道長の人となりが、
少しずつ、見えてきましたけれども、
まだまだ、薄ぼんやりしていて、
全容はつかめません。
 
たぶん、一生かかっても、
捉えきれないんだろうなぁ。
 
 
 
 
 
 
 
藤原道長 源明子 源倫子